代表者経歴

代表経歴とクルマ年表

生まれ1982年7月 岩手県水沢市(現奥州市)
      育ちは東京都足立区
学歴
1989
~2001年
区立小学校
 ピアノ、そろばん、野球クラブチーム
区立中学校
 ピアノ、野球クラブチーム、野球部(右投げ右打ち)
都立商業高校 商業科(江東区)
 硬式野球部(右投げ左打ち)
家の車
・ファミリア 3ドアHB BF
・セフィーロ A31
・フェスティバ
・ブルーバードSSS U13
 SR20DET 4WD
・セフィーロ A32
・プレセア R11
・ステージア25tRS WGC34
 後期(FR)
・インプレッサ GH
職歴①
4年
2001年~
18歳
道路建設会社 総務部経理課(江東区)
 ・電子入札等への対応
 ・子会社介護用品販売・レンタル
  経理、納品組立、在庫管理、接客販売
 ・在庫管理をExcel VBAにて構築し
  VBAにハマる
 ・Yahoo!オークション 出品者登録
  (現ヤフオク!)
 ・フォークリフト免許取得
以下自分の車
・エクストレイルXt 4WD
 4AT NT30 2001年式

整備士のいとこと一緒に車いじりを
始める
職歴②
3年
2005年~
22歳
スーパーオートバックス
 ピットスタッフ(市川市)
 ・タイヤピット
 ・オイルピット
 ・スポーツピット
 ・アライメントテスター、ダイナパック
 ・洗車、簡易コーティング
・スカイラインGTS25tタイプM
 5MT ECR33 前期 1996年式
職歴③
10年
2008年~
25歳
会計事務所勤務(現税理士法人)(荒川区)
 ・法人、個人の税務申告等税理士業務全般
 ・経営計画を中心としたコンサルティング業務
 ・VBAソフト制作、販売
※2年程車無し
・フィットRS 6MT GK5 2014年式
職歴④
2015年~
33歳
個人事業主~現在(松戸、鎌ヶ谷、船橋中心)
 ※重複期間あり
・エブリィ PC DA17V 5AGS

突っ込みどころ満載の経歴が災いし、説明が面倒で公的機関等の面談などで相手の方が困るケースも多々あり、私ができることや経験をすべて話しきれた相手は恐らく誰もいません(笑)

今後のためにもこのままお見せしてもれなく説明できるようにいくつかのテーマに沿って経歴を列挙していきます。

車と生活について

普通車、ラリー車好きの影響は、家にあったファミリアの存在が大きいと思います。

当時はマツダもWRCにマツダ323(ファミリア)で参戦しており、リアルとバーチャル(テレビで見る)の世界が目の前にあったのが始まりだと思います。

以後、日産車が中心ですがSR20DET、RB25DETという日産の名機を積んだ車に乗れたことも良かったと思います。免許を取ってからハンドルを握れた車はステージア、プレセア、インプレッサです。

実際に所有できる”かもしれない”というのがポイントで、フォーミュラーカーよりも市販改造車の方に興味を持って生きてきました。

車いじり(改造・整備)は自動車整備士であるいとこからたくさん学びました。その後、スーパーオートバックスで一通りの現場をひたすら経験し、聖域である車検検査機器、板金塗装を除く店舗にあった機材のすべて工賃を頂けるくらいには使えるようになりました。

憧れの車

日産 スカイラインGT-R R32

BMW E46 M3

経験してきたカーライフに関わる作業・手続き

  1. 革、合皮、布、プラスチックなどのリペア
  2. ヘッドライトリペアと販売
  3. ガラスコーティング、ポリマーコーティング
  4. 洗車
  5. カー用品販売
  6. タイヤ交換
  7. 各種オイル交換
  8. 各種パーツ取付
  9. ホイールアライメント
  10. ブレーキディスク研磨
  11. ダイナパック(シャシーダイナモ)
  12. サーキット走行(グリップ、ドリフト、峠コース)
  13. 自家溶接、板金、塗装
  14. ユーザー車検や名義変更等
  15. 中古車購入、新車ディーラー購入
  16. 大手レンタカーチェーン回送業務

自動車整備士ではありません。作業経験ですので現在提供しているサービス以外も含んでいます。

体力面

野球(軟式、硬式)

インテリな部分も多々ありますが、小学2年生~高校3年まで野球をやっています

小4で初ヒット(レフト前)
小6でキャプテン(元気がないという理由とチームで一番歴が長かった)
   足立区大会準優勝
   監督は元プロ野球選手
中1で2学年上の森本稀哲選手と対戦。まったく打てず。
高1から硬式、左打ちに転向(もともと両方振れたが右腕の方が力があるため)
   男子が少なくずっとレギュラー

ウェイトトレーニングなどで腰椎分離症になりました。完治するものでは無く腹筋、背筋を鍛えて日常生活でも意識して使うことでカバーするしかないと言われました。すでに様々な姿勢で癖付けできているので現在まで再発はしていません。

自動車関連業務

23~25歳までピット、35歳頃から徐々にコーティングやリペアなど現在のサービスへ。

高校生頃から体重は2㎏前後しか変わっておらず「飯食ってるのか?」とよく言われてしまう体型です。おかげで足腰への負担が少ないのと、前述の腰椎分離症のおかげで無理をせず腹筋、背筋が最低限あるためか一定のペースで淡々と1日乗り切れる持久力タイプです。

夜10時頃には寝てしまいます。

パソコンについて

パソコンはWindows95~Windows11まで途切れることなく使ってきています。

家族、会社、個人それぞれ所有者は違いますが、なぜか私が買うのは[ME」「Vista」「8」などメジャーどころではないのが人間性を表しているのかもしれません😓

小学生の時に「書院」というワープロ使って野球のカードゲームのためのスコアボードを表計算ソフトか何かで作って遊んでいました。その試合結果をノートにデータベースとして記録、集計したりしていたのが以後のプログラミング習得や経理、会計事務所での経験に役立っています。

エクセルやプログラミングについて

エクセルを習ったのは高校生の時、VBAやネットワークについては実務をしながらの独学です。

高卒で社員30名ほどの会社に就職しましたが、ただ若いという理由だけでPC担当に抜擢されることも多く必然的に学ぶ機会を得られたのが良かったです。

プログラミングを教わったことがなく我流ですのでコードは美しくはありませんが、自分(達)の実務で使えるものを作る力は突出しているはずです。エクセルで入力したものを会計ソフトに取り込むなどが良い例です。

一番の実績は、会計事務所時代に「銀行格付けソフト」というものを会計事務所向けに販売したことです。中身のノウハウは別にありましたので、外側だけ構築しただけのものですが、バグやクレーム対応をしながら日常業務をするという会計事務所社員の中でも異質な存在をアピールできたと思います(笑)

会計事務所(税理士業)

会計事務所に転職したあたりから自分の経歴の説明が面倒になるようになりました。

低学歴で職歴にも一貫性がないというネガティブな要素をどうカバーするか、自己紹介の際には相手によって伝える順番を工夫したり時には一部を隠したりしなければなりませんでした。

この時点で興味があることには寝る間、お金を惜しまずつぎ込みながら生きてきたので健康面や金銭面ではピンチになることもしばしばありましたが、
・没頭するこの性格やクルマに詳しいという経験はお客様である社長、
・総務経理から接客や現場作業もやっていた経験では会社の様々なポジションの方々
とのコミュニケーションで役立ちました。

両極端な経歴にもかかわらず、転職活動当初はかばん持ちや運転手程度で良いと思って飛び込んだ世界なのに何だかんだ一番長い期間、職業として関わることになりました。

恥ずかしながら税理士資格はありませんが、税理士試験も3回受験しました。財務諸表論、簿記論、相続税法、消費税法ですが、車が無かった2年間はこれらの働きながら勉強もしていたので車ロス期間にもかかわらず退屈した記憶がありません。

将来の店舗計画

カーライフのリアルとバーチャルを楽しむコミュニティースペース

今は無店舗ですが、将来は作業場中心の店舗化を計画しています。そこには本格的なドライビングシミュレーターを個室で用意して、良い大人が周りの目を気にすることなく憧れの車を思う存分楽しむことができるスペースを用意します。

お子様用に「グランツーリスモ」などのハンドルコントローラー付きのゲームを置きいつでも遊べるようにして「車育」ができたら良いなとも考えています。

現在、将来の店舗デモ用としてクラッチ付きの「Driving Force(G29)」があります。

おしまい

その道を極めるにはしかるべき経歴・資格を持ち、やり続けることが大事だったと思い知りました。

私にはその必要だったはずの経歴や資格が一つもありません。受験資格すら満足に得られなかったこの人生は「本当にやりたかったことを素直に認めて行動しなかった」からの一言に尽きます。

その代わりに得たものは、専門家と素人・利用者を繋ぐ役目だと思います。

もしかしたら、得たのではなくそういうことしかできない人間だっただけかもしれません。過去の経験から顧客の声を専門家に、専門的な話を素人に理解して頂く力が備わったと思います。

こんな人間でも一つだけ続けられていることが「クルマ好き」ということです。

今、昔から憧れていたカーライフが大きく様変わりしようとしています。エンジン音や鼓動が無くなり電子音に換わり、人間が操作をするものですら無くなってしまうのかもしれません。

個人ではどうしようもない世界の流れの中に身を置いていますが、見えない敵と競い合うラリードライバーのように、私も自分でハンドルを握り、全身で車のフィーリングを感じながらこの時代をドライブ(経営)していきたいと思います。